STORY
あかりを竹に灯す「竹あかり」
はじまり
僕ら、池田親生(CHIKA)と三城賢士(KEN)は、2004年から「竹あかり」を15年以上、全国で制作してきました。はじまりは、僕らの学んでいた崇城大学の内丸惠一研究室で「うすき竹宵」(大分県臼杵市)という竹灯籠のまつりと出会ったこと。みんなで汗を流して竹灯籠にあかりを灯すまつりが、人々の意識に変化を与え、結果、まちが活性化している様子を目の当たりにしました。「自分たちのまちは、自分たちで灯す」ことが、結果としてまちづくりにつながっていることを実感でき、また、竹あかりの持つ魅力やちからに気付いた経験になりました。
続いて2004年に始まった、熊本城周辺で開催される「熊本暮らし人まつり みずあかり」(以下、「みずあかり」)に参加しました。立ち上げから関わることで、僕らは「竹あかりを伝えることで生きていこう」と決意し、起業することにつながりました。当時学生だった僕たちにとって「みずあかり」は、会社の社長さんなど上下関係なく、いろんな立場の人たちとのつながりがフラットに広がっていく、躍動感が魅力的でした。「みずあかり」は、いまやボランティアのべ6,000人もの人々でつくりあげ、15万人もの人々が訪れるまつりに成長しています。
竹あかりに出会って3年後の2007年4月、「合同会社ちかけん」を設立しました。(2012年「株式会社ちかけんプロダクツ」設立)。僕らは竹灯籠のことを「竹あかり」と呼んでいます。それは、僕らが各地で見てきた竹灯籠に、単に照明としての「灯籠」というだけでなく、人やまちの魅力や可能性を引き出し、多くの出会いを生む、まちづくりの基点となる役割があると実感したからです。そうしたことから、僕らは灯籠の枠を超えた希望の灯火としての想いを込めて「竹あかり」と呼んでいます。
3つの「わ」- 環・和・輪 -
僕らは竹あかりの制作活動を続ける中で、3つの「わ(輪・環・和)」を大切にしています。一つは「人と人とのつながりの『輪』を広げる」こと。もう一つは「持続可能な環境の『環』を広げる」こと。そして最後の一つは「日本文化としての『和』を広げる」ことです。この3つの「わ」を大切にしながら、これまで日本全国、世界各地で竹あかりをつくってきました。
◆「環」
竹あかりが少しでも身の回りの自然を意識するきっかけになったら、と思っています。ひとたび周囲の竹林に目がいくようになったら、利用されないで放置された竹林を多く目にするはずです。元々は生活を支えるために人が植えた竹たちが、今では「竹害」とさえ呼ばれ社会問題になっています。竹あかりは竹の有効活用、竹を資源とみなす可能性を提示します。竹を伐採し整備すれば観光資源となり、使い終わった竹あかりは竹炭や竹堆肥などへの循環的活用が可能です。竹を活用することは、人々に仕事や活躍の場を生み出し、自然との共生や地域活性、そして次世代へとつながる循環型・持続可能な社会実現への第一歩です。
◆「和」
神社や仏閣といったながく信仰の対象だったもの、伝統工芸や伝統舞踊といった風土に根ざし愛されてきたもの、そういった時間をかけて育まれた日本の文化と竹あかりは親和性が高く、よく調和します。それは日本人の心の中に竹が「和のかたち」として古くから息づいているからではないでしょうか。いろんな人が参加し、自然に寄り添い、調和をとりながらものごとをすすめていくことを美とし、善とする。そんなあり方がまさに日本文化としての「和」であり、竹あかりがその象徴なのではないかと思うのです。
◆「輪」
竹あかりは1人で作ることもできますが、まつりなどの場合、多くの人たちとの共同作業です。竹を伐採し、長さを揃え、穴をあけ、空間を彩り、ろうそくを入れ、火をつける。一つ一つ、単純作業の積み重ね。そしてそれらはすべて「人の手」でコツコツとやるしかありません。そうしてみんなでつくりあげるまちの風景。人と人がまつりを通して得た感動を共有することで、縦横に張り巡らされた竹の地下茎のように人々がつながり、より強く結ばれていきます。「人の輪」を生み出す、それが竹あかりの一つの効果・役目です。
パーフェクト・ギフト
印象的な出来事をひとつ紹介します。
「Perfect Gift(パーフェクト・ギフト)」。2014年にフィリピンで現地の方に言われた言葉です。僕らは台風で大きな被害を受けた地域の慰霊祭の一環として、竹あかりを制作しました。そこで一人の女性に「日本人がお金やモノで支援するのではなく、実際に現地に来て、教えながら一緒に制作してくれたことが嬉しかった。これはPerfect Giftです」。そうおっしゃっていただきました。そして現地では次の年から僕らが行かずとも、自分たちでとても綺麗な竹あかりを制作して、まつりをしています。送っていただいた写真を見ていると、現地の伝統を反映させた装飾やテーマの竹あかりたちが、僕らのつくったデザインのものと一緒に写っていました。まさにこれは僕らの願い続けてきた「かたち」でした。
僕らは当初、恩師の内丸先生の提唱する「まつり型まちづくり」として竹あかりを始めました。イベントは一過性のものにすぎませんが、そこでの経験や感動が生活の場である「まち」をより良く変えていく。そんなまちづくりのあり方です。きっと本来の「まつり」とはそのような生活に根ざした、日常をより良いものにしていく非日常だったのではないでしょうか。そしてそのひとつの成果が、このフィリピンでの体験だったんじゃないかと思っています。僕らのつくる「わ」が海を越えた瞬間でした。
竹あかりのメッセージ
学生の頃に竹あかりの制作、演出をはじめて15年が経過しました。竹あかりを通じて日本中、世界各地に人の輪が広がっていきました。その縁で竹あかり以外にも、いろいろな活動を行ってきました。
2011年の東日本大震災、そして僕らの住むまちが被災した2016年の熊本地震は、それまで培った人の輪に助けられ、またその輪がより大きくなっていく出来事でした。そこで培った経験が2020年の、人吉など広範囲で甚大な被害を引き起こした、令和2年7月の熊本豪雨災害での迅速な支援活動にも活きることになりました。竹あかりから生まれた様々な人の輪は、人を感動させ、人を助けることにもつながります。
僕らの活動は多岐にわたります。仕事を新たに創出したり、資源を循環活用したり、教育に役立てたり、貧困支援に貢献したり……と多種多様です。実感として僕らの活動はSDGsの実現にも大きく寄与しています。僕らは竹あかりが平和の実現に有効な手段だと確信しています。
でもあくまで竹あかりはツールの一つに過ぎません。大事なことは竹であることでもなく、デザインや制作方法でもありません。僕らは竹あかりは大事なことを伝えるメッセージだと思います。だからこそ竹あかりを日本の文化として100年後も残していきたい、そう思いながら活動をしています。
竹はどこにでも生えて、誰でも切ることができ、加工できる素材です。だから僕らのやっていることは「誰でもできること」なんです。でも「誰でもできることを、誰もできないくらいやる」、それが僕らのスタイルですし、竹あかりのメッセージなのです。
池田親生・三城賢士